昔、明治以前の実話であると、古老は言う。美しい大和平野を一望出来る葛城山麓に作付けせられた、汚れのない天水と、山水により育成せられた特上質の米を、水車を用いて粉となし、乾燥し熱湯を入れ砂糖を用いず攪拌し、団子にして赤青白に着色、あんを包み蒸し揚げ竹の皮に包みて商いせしものなりて、美味は一夜限りで固くなれば焼いて食べたと語ります。 昔の当地の藩主、桑山公永井公も愛食推奨せられ、地元民は勿論、河内の国等より、竹之内峠を越えて大和の国は吉野、山上ヶ嶽参り、紀ノ国高野山参りの為、高野街道を往く修験者、旅人は、菅笠被り錫杖白脚絆にわらじを履き、法螺貝を吹き鈴を鳴らして、往来する庶民の舌を楽しませ、暫しの休息を与えし、街道唯一の和菓子で、この蒸饅頭を手作りする紺の着物の前垂れ姿に襷掛の人物こそ、我等探求と憧れの的とする通称「およね」はんなりと・・・従って「およね饅頭」と巷間、言い廻したものである。 この「およね」はんは絶世の大和美人で、しかも妖艶の後家さんとか、庶民老若に人気と羨望を蒐め、巷間を楽しませ今日に至る。その「およね饅頭」なるものが夏季だけにしか姿を見せず、今夏に食(会)っておかなければ来夏まで会(食)えない為に、次のような俗謡と言うか、歌詞が残り語り継がれている。 因に、この「およね」はんの其の后の消息を知る術もないが、敢えてこのロマン?哀愁?を残し夢物語として、そっと、後世に伝えることが楽しみであろうと、筆者は思う。 新庄通れば およねが招く およね食いたし 銭にはなし
古代、葛城の山麓に華麓に栄えた、葛城王朝の廟、屋敷山古墳があります。朝に畝傍、耳成、天香具山を拝し、夕に金剛、葛城、二上山の秀峰を背景に謝し、緑と水に恵まれ美田に囲まれ、歌聖 柿本朝臣人麿生誕の地、戦国の時代、布施、桑山、永井藩の興亡を語り継ぎ、これぞ我等が郷土、大和新庄であります。自然は美しく四季を告げ、人情味豊かに経世成し易く、生甲斐を感じ、誇りを覚え、成せば成るの英智と躍進の町と信じます。 ここで人間緩急と強弱を調整し、休養と補完の為、又御茶席に、御土産に、銘菓「やしき山」を御買い上げ下さい。
万葉集にも詠まれる葛城の山並み、葛城の山は、古くから神のいます山として知られています。 その麓に位置するわが町は早くより開け、あきつしま大和の一中心地として、5世紀頃から朝鮮半島のすぐれた技術や文化を導入し、独自の政治基盤をつくりあげ、常に時代の先端を歩んできました。 その永い歴史の中で、この葛城に生きたわが祖先の姿やあたかも日本の自然の特色とされる四季春夏秋冬の変化にも似たリズムや調べを現代風にアレンジし、ふるさとへの愛情、明日に生きる情熱と人間的なふれあいの醸成のためにつくられたのがこの「かつらぎ太鼓」です。
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